武田信玄公は広く仏教を信仰し、宗旨のいかんを問わず、寺院・僧侶を崇敬保護した。中でも禅法を尊び、臨済禅に深く帰依した。その教えが戦国武将としての彼の心に強く響くものがあったからだと言われている。また、諸国から禅の高僧を招き自己修練に励み、その教えを政治(民政)・軍政に大きく反映させた。
その代表とする高僧は妙心寺派の鳳栖玄梁、月航玄津、天桂禅長、岐秀元伯、快川快喜、策彦周良らで、なかでも岐秀は信玄の母大井氏の招きを受け、大井庄(甲西町)長禅寺に住山。信玄の幼少期からの学問、政道の師であり人間形成に大きな影響を与えた。信玄は臨済宗禅の関山派に深く帰依し、京都や鎌倉五山にならい、府中とその周辺に、府中五山を定めた。